レビ記6章1〜6節

2、5,6節に祭壇の火を燃やし続けなければならないと書いてある。

 

理由は不明。人々にとっては自明のことだった?

 

1  祭壇の火は神の聖さと正しさを示す。

 

全焼のいけにえを焼き尽くす炎は、人間の犯した罪に対する警告だ。

 

焼き尽くす捧げ物の描写は残酷だが、罪に対する神の怒りがそれだけ激しいことを示している。

 

例)マレーシア当局の北朝鮮の声明に対する怒り

 

神はご自分の義を曖昧にすることはなさらないお方なのだ。

 

2  燃え尽きない火が示すこと

 

1)永遠性

神の聖と義は永遠に変わらない。

 

この世では時代により義の基準が変わるが、神の性質は決して変わらない。

 

エレミヤ31:3

 

神の聖さ、正しさ、そして愛も永遠に変わらない。

 

祭司達は灰を取り除くとき権威の装束でなく、亜麻布の装束をまとった。

 

亜麻布の装束は謙遜の象徴。神の聖さの前にへりくだる。

 

2)常に救いの手段が備えられている

常時、罪の苦悩からの救いが用意されている。(人類の諸問題の根本的原因は罪にある)

 

この世では恵みによる救いは中々理解されにくい。しかし、救いの手段は唯一なのだ。

 

約束の地を目指す民は集団の中央に祭壇のある幕屋を設けていた。

 

私たちもまた十字架の救いをいつも覚えておく必要がある。

 

祭壇の火を燃え続けさせねばならない。

 

それはイエス・キリストの十字架を高く掲げ続けることだ。

 

イエス・キリストの他に救いはない。このことを示し続けねばならない。