マタイによる福音書3章1〜12節

悔い改めについて学びたいと思います。

 

ヨハネは人々の心を整えるために活躍した預言者でした。

 

なぜ整える必要があったのでしょうか。2節 天の国=神の国 国=支配

 

「まことの王の支配が訪れる。だから、悔い改めなさい」

 

ヨハネはその王がどんな方かを語っています。

 

自分より偉大な方である。11節

 

聖霊

 聖霊と火で洗礼を授けるとは、救われる人とそうでない人を振り分けることです。

 

信じる人には聖霊を与え神との関係を回復してくださいます。

 

信じない人は終わりの日に火でその人を滅ぼすのです。

 

「そのお方は人々を救いか滅びかを定められる」ヨハネはそう伝えたのです。

12節 麦か殻かに分けるのはこのたとえ

 

「その方は、神としての権威をもって人々を裁くだろう。

 

またこの世界を支配するまことの王であられる。

 

わたしはその方が来られるための道備えをしているのだ。」

 

これを聞いて人々は罪を告白し、洗礼を受けました。4節

 

悔い改めるとは、罪を告白することです。

 

その罪とは心の王座に自分が座していることです。

 

だから悔い改めるとは、心の王座にまことの王を迎え入れる決心をすることです。

 

人々はその印としてヨハネから洗礼を受けました。

 

では悔い改めると何が起こるのでしょうか。

 

ヨハネの元に宗教家たちがやって来ました。7節

 

ヨハネは彼らに「悔い改めにふさわしい実を結べ、そうでないと神の怒りを免れることはできない

」と言いました。8節

 

悔い改めがもたらす実、生活はどんなものなのでしょうか?

 

正しい、良い行いでしょうか。

 

宗教指導者たちは誰よりもそれをしていました。

 

悔い改めの実を結ぶとは御霊の実と呼ばれる品性が現れることです。

ガラテヤ6章

 

宗教指導者たちはその品性を実らせる妨げている何かを持っていました。

 

それは民族的なプライドでした。9節 アブラハムの子孫だから救われている。

 

彼らはそのプライドが高かったので、異邦人を見下していました。

 

その異邦人も心の王座にまことの王を迎えるなら救われます。

「この石ころからでも」

 

まことの王であるイエスはどんな方でしょうか。

 

イエスはご自分を受け入れない人をあのヘロデ王のように徹底的に排除したでしょうか?

 

イエスは悔い改めなければ滅ぼすぞと脅迫はしませんでした。

 

イエスは十字架にかかりわたしたちに罪の赦しをもたらしてくれました。

 

イエスは裁くためではなく、救うために来られた王なのです。

 

そのためにあえて貧しい姿をもってこの地に来てくださいました。

 

良い行い、正しい生活をしたからイエスを王として迎え入れる資格があるのではありません。

 

悔い改めるとは、プライドを捨てて心の王座にまことの王を迎え入れることです。

 

そのために必要なこと、神から要求されている正しい行いはすべてイエスが完成してくれました。

 

ヨハネが授けた洗礼はまことの王を迎え入れる決意の表明でした。

 

私たちが授かる洗礼はそういう決意や努力の意思表明ではありません。

 

イエス・キリストをとおして与えられた恵みの印です。

 

洗礼を受けるとは神の怒りのもとではなく、恵みのもとに生きる新しい生活を始めることです。

 

今朝、もし心の王座にまことの王であるイエス以外のものを置いているなら悔い改めましょう。

 

 

  神を信じなくても楽しい人生を送って来た。どうして悔い改めが必要かという人がいるでしょう。

 

三つの理由を最後に紹介しておきたいとおもいます。

 

ひとつは私たちの心には神を求める願いがあるからです。

 

人間の心には理性では説明のつかない永遠を思う想いがあります。

 

ある人がこう言いました。「人の心には神以外には満たすことのできない空洞がある。」

 

だから人生の虚しさを感じ始めたならそれはとても素晴らしいことです。

 

神を求め始めるきっかけになるからです。

 

 

ふたつめは危機的な状況に備える必要があるからです。

 

いまは自然災害が来たときの備えについてよく語られています。それは時代の要請でもあります。

 

それと同じように人生の危機管理をしっかり考えておく必要があります。

 

確かに神を信じなくても楽しく生きる人はいるでしょう。

 

しかし、注意しなければならないのは人生には必ず思いがけない試練が襲う、悲しみに合うことです。

 

愛する者を亡くす、事故に遭う、病気にかかるなど。

 

それは起こることが当然だということを前提にして生きる必要があります。

 

人間が遭遇する最悪の試練は死です。

 

死後の世界への備えをどうすれば良いのでしょうか。

 

聖書によるとイエス・キリストを信じて父なる神と和解していることです。

 

これが最も大事な備えです。だから神を信じなければいけません。

 

ヨハネは3:10でエルサレムの崩壊を預言しました。危機的な状況が彼らに迫っていました。

 

 

 

みっつめは今を生きる力が必要だから神を求める必要があります。

 

パウロという人は私はしたいと思う良いことができない。むしろしたくない悪を行ってしまう。だから惨めだと言っています。

 

とても正直な告白です。

 

神と愛の関係にある人は、自分の力ではない、超自然的な力を体験してかつてできなかったことが出来るようになります。

 

今を生きる力を神から与えられるからです。

 

イエスは聖霊により洗礼を授けてくださるお方です。

 

その聖霊が品性をもたらし、生きる力と知恵を与えてれるのです。

 

悔い改めの実を結ぶとはそういうことです。

 

ぜひ神を見上げて、イエス・キリストをまことの王として心に迎え入れてください。

 

洗礼がまだの人はぜひ洗礼を受けてください。

 

 イエスから火ではなく、聖霊による洗礼を受けてください。