tpoipoi’s blog

聖書の読書感想文です。

出エジプト2章 寄留者

モーセの出生は何度読んでもドラマチックです。ファラオの娘に拾われ、ファラオの子として育てられるも彼のアイデンティティヘブライ人でした。大人になったモーセは同胞を救おうとしたことがあだとなり、ファラオに命を狙われることになりました。こうしてモーセはやむを得ずファラオのもとを去っていきます。

 

神のご計画はモーセによりイスラエルをエジプトから脱出させることでした。しかし、機は熟していませんでした。神の時というものがあります。決定的な時です。この時のモーセのように神の時を待たず、自分の意志のみで重大な決断はすべきではありません。

 

ミディアンのもとに身を寄せることになったモーセは祭司の娘と結婚して子どもを設けます。彼はその子にゲルショムと名付けます。「私は異国にいる寄留者だ」と言ったからです。本来いるべきところにいない自分の不甲斐なさ。人生にはそのような立ち位置に立たされることがあります。しかし、それは神から見放されたことを意味しません。

 

イスラエルの民もある意味、異国にいる寄留者でした。神に苦しみのあまり叫ぶ声は神にしっかり届いていました。「神は彼らを御心に留められた」(2:25)やがて時が満ちると彼らはモーセに先導されてエジプトを脱出し、本来の立ち位置に戻されていきます。

神はご自分が召した人をそのように取り扱われます。その渦中は真っ暗で出口の見えないトンネルを進むかのようです。しかし、必ず出口が用意されています。神は試練と共に脱出の道も用意されるお方なのです。だから、クリスチャンは神に信頼して歩んでいくのです。